2018年から新体制をとっている武蔵野酒造。この蔵の代名詞的存在「スキー正宗」に加え、現在は実験・革新的要素が強い「狼煙」の醸造もスタート。常に挑戦し、日本酒の新しい形を模索する姿勢は全国から注目を集めている。
「私どもの前のオーナー、小林家の方がこの蔵を引き継いだのは大正5年、1916年のこと。それ以前の文献が残っておらず、正式な創業年はわかりません」と話すのは、取締役杜氏を務めている荻原亮輔さん。2018年から、上越市を中心とする異業種企業グループ「大島グループ」が武蔵野酒造を経営。荻原さんは、同時期から酒造りの現場に立ち、新しい挑戦を行っている。「昔からこの土地で愛飲していただいているスキー正宗に加え、新しい銘柄づくりにもチャレンジしています。あえて言うなら、付加価値が高い銘柄でしょうか」。
2020年、荻原さんはクラウドファンディングに挑戦した。商材としたのは、次期から本格的に生産に入る新ブランド「NOROSHI 狼煙」。すべてのお酒が1タンク分のみの醸造。同銘柄でありながら、毎月、新しい味わいが生まれるという実験的な日本酒だった。
「この試験場造酒が非常に好評で、目標金額の3倍以上の応援をいただきました」。
2020年10月、武蔵野酒造に新しい仕込み蔵が誕生。翌月から、「NOROSHI 狼煙」の本格的な造りが始まった。
「新しい蔵をつくると決まった際に、少人数で使い勝手のいい設備にしようと決めました。それに伴い、醸造用タンクも小さいものにしました」。
これが結果、「NOROSHI 狼煙」の誕生にもつながった。
同じ銘柄であっても仕込んでいるタンクごとに微妙に酒の熟成に違いがあり、味わいの微妙に異なる。多くの銘柄は、商品としてばらつきをなくすために、それぞれのタンクで仕込んだお酒をブレンドし、出荷している。それを逆手に取ろうと荻原さんは考えたと続けます。
2020年の仕込みでは、上越産の山田錦に原料を固定。酵母を変えて、酒を醸した。二造り目となる21年は、酵母を固定し、タンクごとに原料米を変更して、酒造りを行った。
「弊社で現在使用しているのは、8基すべてが400リットルのサーマルタンク。細かい温度が一基ごとに設定できます。小さいからこそ、難しい面があるんです」
多くの蔵元で使用している大型のタンクの場合、温度の設定をしても、タンク全体が均一の温度になるまで数日間を要する。しかし、武蔵野酒造で使用しているような内容量の少ないタンクの場合、短期間でタンク内の温度は均一になってしまうため、酒の湧き加減を見極めて、設定する温度を決めるのが、非常にシビアだと荻原さん。
「でも、これもメリットかなと考えています。良い悪いの結果がすぐ出るということは、経験できるサイクルも短いということです。小さい仕込みタンクであることの良さは、いろいろなことを試して、また次の仕込みに生かせるところにあると思います」。
さらなる個性を生み出すため、荻原さんが注力しているのが、菌の保有。酵母菌、麹菌、乳酸菌……、荻原さんいわく、「他社では考えられないくらいさまざまな菌を保有している」そうだ。
「小さな仕込みだからこそ、菌のいろいろな掛け合わせを試せます」。
日本酒を造るのは、菌と呼ばれる微生物。そのもとをタンクごとに変えることで多様な味わいを見つけ出そうというのが、新しく造った「NOROSHI 狼煙」のスタイル。
「同じ味わいは二つとしてありません。そのときにしかないという付加価値がうちの酒にはあります」。
大きな変革を経た武蔵野酒造の味わいを見てみよう。
昭和2年、上越市がスキー発祥の地であることを記念して造られた銘柄。飲み飽きしないすっきりとした味わいが特徴。
カタカナの使用が禁止された第二次世界大戦中に三年間の発売された漢字シリーズを令和元年に復刻。華やかな香りとまろやかな甘味のバランスが絶妙な純米大吟醸。
飲んだタイミングで異なる味わい、「本当にうまい酒に出会う」をコンセプトに醸している、武蔵野酒造の新定番。酒米と酵母をはじめとする菌の組み合わせを毎回変更し、一期一会の酒にチャレンジしている。
取材・文 / 小島岳大