日本海に面し、豊かな自然に恵まれた柏崎市。この郷土の誉となるような、人に愛され親しまれる酒を醸したい。そんな想いから看板銘柄据えている「越の誉」をはじめ、人に寄り添う味わいが生まれた背景には、幾度の困難があったそうです。
「弊社は、今から15年前、2007年に起きた新潟県中越沖地震を直撃しました」。
7代目当主となる、代表取締役社長の原吉隆さんは酒蔵が全壊してしまった当時のことをこんなふうに振り返ります。
「社屋の7割が全壊。そこから復興して今の新しい社屋ができました。当時の様子は一言で表せないほどひどいものでした。そこから復興できたのは、弊社の伝統というか、昔からのスピリットにあるかもしれませんね」。
そもそもは鋳物業を生業にしていた祖先が酒造業を始めたのは、文化11年、1814年のこと。今も制服などに使用している「まるな」の文字は、屋号「なべや」に由来する。酒造業が軌道に乗り、順風満帆に見えた原酒造に転機が訪れたのは、4代目・原吉郎の時代。明治44年、1911年に起こった糸魚川大火を受け、蔵・自宅が全焼。廃業の危機となった。
「4代目は非常に悩んだと聞いています。ですが、『苦しいとき、悲しいときにお酒は癒してくれるものであり、嬉しいとき、楽しいときにはその喜びを倍増させてくれる。生活には必要なものだ』と考え、復興に全力を挙げたそうです」。
現在も原酒造の基本理念となっている「幸せを呼ぶ酒造り」はこの4代目の考えから生まれたもの。
「昭和47年、1972年に弊社にとって大きな出来事がありました」。
日本と中国の国交正常化に際して開かれた記念晩餐会の乾杯酒に越の誉が使用された。
「当時の田中角栄総理からはまったく話を伺っていなかったので、家族中が驚きました。当時、私は中学生でしたが、ひっきりなしに家の電話が鳴っていたことを鮮明に覚えています」。
この出来事を機に、新潟県内のみならず、その名を全国に轟かせた原酒造は、順調に生産数を伸ばし、売り上げを伸ばしていくことになりました。しかし、再び原酒造に不運が襲いかかります。それが先述した2007年の新潟県中越沖地震でした。
「人が集まる場所であり、交流できる場所がコンセプトです」。
震災から3年後に造られた、ショップ兼ミュージアムの「酒彩館」は、多目的ホールとして一般貸し出しも行なっている。
「この地域の方々には昔からご支援いただいています。少しでも恩返しができれば、そんな想いも込めてこのようなスタイルになったんです」。
原酒造のお酒を語る上で外せない銘柄がある。それが「越の誉 発泡純米 あわっしゅ」。
「よく日本酒の入門酒と言われるのですが、それは間違い。まったく別の層を狙って造った銘柄です」。
発酵中のもろみを搾り、火入せずに酵母が元気な状態で瓶詰め。瓶内でさらに発酵させて自然の炭酸ガスを発生させる瓶内二次発酵。スパークリングワインを造るのに用いられるこの製法を日本に落とし込み、新しいファン獲得を目指したお酒だと、原社長。
「誕生から10年以上が経ち、商品としてはほぼほぼ完成形に近づいたと思います」。
国内外でも高い評価を受け、数々の賞を受賞している同酒は、常に諦めず復興してきた原酒造のチャレンジスピリット精神が表れている銘柄の代表格だそうです。現状に留まらず、常に先へ進もうとする原酒造、同社のお酒のラインナップ、その一部を見てみよう。
原酒造と独立行政法人中央農業研究センターが共同開発した酒米を使用。原崇社長が命名した「越神楽」で醸すこの酒は、豊かな吟醸香としっかりとした米の味わい、滑らかな舌触りとキレの良い後味が共存。
地元の契約農家が栽培した高嶺錦を全量使用。厳冬時期に醸造し、その後氷温貯蔵。低音熟成することで、まろやかに仕上げた1本。生酒ならではの濃厚さ、大吟醸特有のフルーティーな香りも魅力。
アルコール度数7%に加え、程よい酸味と甘みのバランスが接妙。自然発生のきめ細かい炭酸ガスが生み出す、心地よい爽快感は、よく冷やすことでさらにその魅力が増す。
取材・文 / 小島岳大