豊かすぎるほどの自然に囲まれている、この空気も一緒にお届けできたらいいですね。ぜひ、こちらにも一度、足を運んでみてください。
兵庫県の灘には酒蔵が出資して作った学校があるが、こちらは、酒米生産者が中心となって運動して作った酒蔵。米作りに誇りを持つ新潟ならではと言えるかもしれない。
津南の中心街から国道405号を秋山郷に向かうと、中腹に忽然と現れる酒蔵。1996年に設立された新しい酒蔵だけに旧来の木造ではなく、ドーム体育館のような、外観が新鮮だ。
雪深いことも考慮した作りになっていることも伺える。また、蔵見学ができることもあり、駐車場も広くとられている。入り口にショップがあり、2階からはガラス越しに酒造りの様子を見学することができる。
秋山郷への観光の途中で立ち寄るケースが多いという。
「津南の気候風土は豊かな土壌と清らかな水資源、昼夜の寒暖差など環境の良い場所で酒造りをしています」と話すのは、販売促進部長の村山俊郎さん。
ちなみに、蔵後方には2000メートル級の山々があり『霧の塔』は代表銘柄となっている。 建物は近代的だが、手造りにこだわった酒造りを寒造りで行っている。
仕込み水は、霧の塔など山々に降り積もった雪が水源だ。湧き水は超軟水で粒子が細かくまろやかな水。これを使って、地元農家で栽培されたこだわりの酒米「五百万石」で造られる酒は、正に新潟津南の味と言える。
「当蔵はずっと淡麗旨口です。『自慢できるお米を作りたい』という農家の作った米で、『その米を使って期待を裏切らない酒を造りたい』と考えて酒を造るんです。だから美味しいお酒が生まれるのです」
と村山部長。 全国新酒鑑評会金賞他、数々の賞を受賞している。
津南醸造の蔵職員は、製造職も事務職も、すべて地元の住人。一部の年間雇用を除いて夏は酒米「五百万石」を主体として作る農家だ。
農業振興のために、農協が地元自治体に働きかけて設立した酒蔵。 それは、この酒蔵が創業に遡る。
終戦後の混乱から一転、高度成長期へと突入した時代に、若者たちは金の卵と呼ばれて地方から都市部へとなだれ込むように移動していった。
「会社員」「サラリーマン」になることが憧れだった時代。「これからはさらに農業人口が減る、米を食べる人が減る」と、危機感を覚え、農業を支えるために作られたのがこの前身となる酒蔵だった。
現在、酒造りを任せられているのは、取締役杜氏の滝沢昌哉さん。会社が設立されたと同時に入社。先代杜氏のもとで酒造りを覚え、十数年前に先代が引退する直前には、雑務に忙しい頭に代わって、杜氏のすぐ下で働いていたという。
そのため、先代の引退とともに杜氏に昇格。以来10年、若い酒蔵ながら数々の賞を受賞 。
「とくに酒造りに興味があったわけでもないんです。むしろ、あまり飲んだことがなかったくらい。まだ、20歳過ぎたくらいですから、飲んだこと自体がなかった。仕事も地元十日町の会社で事務職でした」
と、当時のことを話してくれた。 ここが開設されるからということで、普通の就職活動として選んだ酒蔵。
「入社が決まって、県内の酒蔵で研修させてもらって、一通り作業工程を見せてはもらったという感じです。今だから言えますが、とくに好きで入ったというほどではなかったし、あまりよくわかっていなかったと思います」
興味なく入るには、厳しい仕事内容ではないかと思われるが、
「最初は、寒くてね。でも仕事を覚えていって、蔵の人たちも親しくなって、何よりひとつのものを作り上げる達成感がありました。『ものづくりのやりがい』ですね。立ち上げからいたので、愛着もあったかもしれません」
それが、気がつけば、杜氏になっている。そんな不思議な自分の経験から、若いこれからの人たちに伝えたいことがあるという。
「よく、『やりたいことが見つからない』『今やっていることは自分に向いているのか?』『このまま続けていてもいいのだろうか』と手応えのないことに不安を覚えたり、悩む人がいると思います。
でも、それを続けていれば段々面白さがわかってきたり、興味が湧いてきたりするもの。不安定な時期を乗り越えてしまえば、物事をやり遂げてみると、その本当の面白さが見えてくるものなのだと思います。
これは、どんな職種にも言えること。さらには仕事だけではなく言えることではないかと思うんです」
蔵元が勧めるお酒を紹介しよう。
精米歩合40%の厳選された「五百万石」を使用。華やかで上品な吟醸香とキレの良さが魅力。
50%磨きで、穏やかな香り。すっきりしつつ、味わい深さも楽しめる。
精米歩合60%。米の味も楽しめ、ふくらみのある味わい。燗酒にも良い。
取材・文 / 伝農浩子