200年の伝統ある蔵と優れた技術力のある蔵が融合 阿賀野市『越つかの酒造』のDNA
越つかの酒造

越つかの酒造KOSHITSUKANO shuzo

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当社では独自の「塚野酵母」を使用し、手造りにこだわった仕込みで独自の味わいを醸しています。純米大吟醸から大吟醸、純米酒まで12~13種類造っていますが、毎年売りきりで残さない経営方針です。

創業当時の面影を残す越つかの酒造

越つかの酒造があるのは、新潟市の東隣に位置する阿賀野市。県内屈指の登山者数を誇る五頭山(ごずさん)や、白鳥の渡来地である瓢湖(ひょうこ)、竹久夢二をはじめ多くの文化人が滞在した五頭温泉郷などで知られる。
自然豊かで農業が主産業の町だ。

2つのDNAを受け継いで

この蔵の家付き酵母は「広島5号酵母」として知られる

蔵へはJR羽越本線の水原駅から南へ6km、クルマで15分ほどで到着する。阿賀野川の下流域、越後平野のほぼ中央に位置している。
この地で天明年間の初め(1781年頃)、塚野家の初代・塚野丈左衛門義照が「河内屋」を名乗って酒造りを始めたのが「塚野酒造」の起源。 時は流れて1996年、「越酒造」との合併によって「越つかの酒造」が誕生した。
越酒造は旧豊栄(とよさか)市にて1987年に創業。特定名称酒のみを製造販売し、早くも創業翌年秋の第47回関東信越国税局酒類鑑評会で入賞した。以後63回まで連続17回の入賞を果たしている。
いわば、200年の伝統ある蔵と、優れた技術力のある蔵が融合して生まれた蔵。二つのDNAは、第85回全国新酒鑑評会にて金賞受賞という快挙をもたらしている。

昔からの技術を伝承

酒造りのスペースはほぼ一箇所に集約し、ゆったりと配置してある

越つかの酒造では、天明期創業当時の面影を残す蔵で酒造りを行っている。 インタビューに応じてくれたのは、この蔵で杜氏を務める田中良一さん。酒造りの道に入って50年近くになるという。
「私の親父も杜氏でした。柿崎出身の頸城杜氏です。群馬県の浅間酒造には40年ぐらいいましたね」と、自分も杜氏になった経緯を話してくれた。
田中さんは東京・滝野川の醸造試験場で研修後、試験場の助手を務め、その後、新潟県の醸造試験場にいたことも。 そんな田中さんが、いま酒造りで杜氏として心がけているのは、昔からの技術の伝承だ。
たとえば麹造りにおいても、昔の蔵人はなぜ仲仕事や仕舞仕事をするのか、その意味を理解してやっていた。仲仕事は麹の盛り後に行う品温調節、仕舞仕事はその後で再度攪拌して水分を飛ばし、温度を均一にする作業。
これらの過程の必要性を知る大事さを蔵人たちに伝え、未来につなげていきたいという。
「ここのスタッフはみんな若いんです。地元の人間で通いですが、どんな仕事か興味があったといって入ってきた若者もいるんです。
慣れてみるときついけど面白いと言っているので、杜氏としては嬉しいですね。知識がついてくると次に何をすればいいかわかるから、動きもよくなります」
田中さんの教育方針は効を奏しているようだった。

地元の米、水、酵母

杜氏を務める田中良一さん

越つかの酒造で造っている酒は70%が純米酒と、純米比率が高い。田中杜氏によれは、使うコメは「山田錦」を除き、全量新潟産。「五百万石」と「こしいぶき」が中心という。
「飲みやすい純米酒、少し辛めの純米酒がこの蔵の目指す味わいです。私はお客さんがうまいなぁといってくれる酒を造りたいと思っています」
そのためにこだわっているのが、地元の米と水。それに酵母の影響も大きいようだ。
「この蔵には優れた家付き酵母が棲んでいるんです。酵母は主にアルコール発酵を行い、酒の香り・旨みを作り出します。この蔵の家付き酵母は広島造場試験場で培養されて、「広島5号酵母」の名で他の蔵でも使用されているんですよ」

肥沃な大地の食文化と地酒

緑豊かな酒蔵。風情あるだが、現在は裏側が出入口となっている

信濃川と阿賀野川に潤される越後平野は、日本有数の穀倉地帯を形成し、この土地に豊かな食の文化をもたらした。
日本一のコシヒカリにナスや長芋、茶豆、それに阿賀野川で獲れるシジミに鮭。 これらの地のものと合わせてしみじみ美味い酒が、今日もこの蔵では造られている。
それでは越つかの酒造自慢の商品を紹介しよう。

取材/伝農浩子・文/八田信江