全国で最も若い蔵元して、天領盃酒造の代表取締役となった加登仙一さん。2018年3月から陣頭指揮をとり、経営状況が厳しかった酒蔵を立て直している加登さんは就任当時をこう振り返ります。
「自分の好みの日本酒を造りたい」
そう考えたのが、加登さんが蔵元になろうと考えたきっかけだったそうです。当時、加登さんが目指そうとしたのは、甘くて酸味がある、当時流行りの味わいでした。日本酒は好きだが、そこまで量を飲める体質ではなかったという加登さん。
「印象に残りやすいお酒というのが、当時の僕には分かりやすかったのだと思います」
しかし、蔵元となり、目指す味わいを模索するうちにその考えは変わったそうです。
「他県も含め、さまざまなお酒を試飲しました」
すると、酒の減りに偏りが出た。洗練され、スッと体に馴染む酒。極度に甘いわけでも酸っぱいわけでもなく、余計なものが削ぎ落とされた味わい。尖りすぎていない酒の減りが圧倒的に多いことに気がついたそうだ。
「現在は、酒造りのコンセプトを『キレイで軽くて、穏やかな酒を造る』としています」
就任2年目の造りから、製造責任者も兼務するようになった加登さん。現在は、20代、30代の蔵人とともに目指す味わいを醸しています。
「現在のメンバーは、僕が酒を醸すようになってからSNSなどを通じて、蔵人になりたいと自ら応募してきてくれました」
2019年、製造責任者として、加登さんは新しい銘柄を誕生させました。
「雅楽代」(うたしろ)。
天領盃酒造のある住所、佐渡市加茂歌代は、加茂地区と歌代地区が統合しできたもの。古い文献をたまたま見ていた加登さんは、天領盃酒造は旧・歌代地区にあることを知りました。調べてみると、佐渡に流されてきた順徳天皇に向けて、島民が歌を詠んでいた。歌人としても有名だった順徳天皇が歌を気に入ると、土地が与えられた。その土地が旧・歌代地区。
「この場所を、雅で楽しい、時代の代と書いて、『雅楽代』という名字を名乗っていた一族が収めていたことを文献で知りました。うちのお酒が飲む方の楽しい時間を演出する要素になりたい。常に考えていたこの想いと、土地の名前のもととなる『雅楽代』が僕の中で合致したんです」
「酒造りの設備に関しては、19年からの4年間で、ほぼすべて変わりました」
目指す味わいを醸すには、旧設備では造れない。製造責任者として経験を重ねるごとに、より酒造りという仕事が明確になり、毎年設備投資を行い、一歩ずつ進化を遂げている天領盃酒造。
「製造責任者初年度のお酒は今振り返ると、よく出せたなという味わいだったと思います。でも、おそらく数年後に今年出したお酒を振り返ると、同じようなことを言っていると思います。時代が進み、人との関わり方や楽しみ方が多様化していくのと同じように、『雅楽代』という銘柄も毎年、毎年、常に進化し続けたいと思っています」
「新しいことに次々挑戦したい。そう思っていたときもありましたが、それは違うと気づいたんです」
蔵元としても製造責任者としても、県内では最後発にあたる加登さん。酒造りを行えるのは実質半年。その限られた時間の中で、毎年、数種類の新銘柄に挑戦した場合、すべてがゼロからの積み上げになる。しかし、同じ銘柄を同期間で繰り返し醸せば……。
銘柄を絞り、繰り返し造ることで、酒の味も自分の技術も成長スピードが格段に速まる。加登さんはそのように考えたそうです。
「今後もあまり商品数を増やすつもりはありません。お酒の品質をどんどん高めて、名だたる県内の先輩たち、全国トップレベルの蔵元さんたちに追いつき、追い越すこと。これが僕たちの目標です」
こう話す加登さんが醸す酒、その代表的な味わいを見てみよう。
アルコール度数が12.5%の低アルコール原酒。現在の天領盃酒造の酒造りを象徴する、軽やかな酒質です。
火入れ技術の向上によりフレッシュ感がありながらまろやかな味わいに進化。穏やかな香りが口の中に広がったあと、まろやかで柔らく、ほんのりとした甘み、うま味が押し寄せ、後味はスパッとシャープ。
仕込み水の一部に用いられた清酒には、蔵内にて数十年と熟成させた古酒を使用。まるでデザートワインのような上品な甘さ、とジューシーな酸味に加え、熟成古酒の片鱗もある唯一無二の味わい。
取材・文 / 小島岳大