チャレンジ精神で新しい新潟の酒を造り手、売り手、飲み手も巻き込む老舗蔵『笹祝酒造』
笹祝酒造

笹祝酒造SASAIWAI shuzo

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PICK UP 2024

地酒とは地元の人たちの味覚を見極めたもの。これからも、「酒造りはイメージ作り」をモットーに、地元を大事にし、そして地元応援として、いっそう笹祝の味を広く発信していきます。

笹祝酒造の創業は明治32年。約120年続く老舗酒蔵にまた新しい波が起こっている。原動力となっているのは6代目、2018年12月に代表取締役社長に就任した、笹口亮介さんである。

田舎が嫌で飛び出し都会へ

笹祝酒造の6代目となる、代表取締役社長の笹口亮介さん

「若い頃は都会で働いている人たちがキラキラ輝いて見えて、その世界に飛び込みたかった」と、笹口社長は語る。酒蔵の息子ならば醸造学部のある大学進学が当たり前。しかし蔵を継ぐ気持ちがなかったため、酒造りとは無縁の都内の大学へ進学した。
転機が訪れたのは卒業も近い頃だった。「アルバイト先が日本酒の立ち飲みバーで、うちの『笹祝』もあった。多くの人たちが嬉しそうに飲んでいたんです。故郷の酒が、うちの酒が東京で認められていることに興奮。この時、日本酒の仕事がしたいという気持ちが芽生えました」。

都会で見つけた故郷の魅力

街道沿いになびく暖簾。昔から街道を歩く旅人を癒してきた地酒の証。

家業を継ぎたい、しかし日本酒の勉強は全くしていない。そんな時、横浜の酒屋から「うちで働かないか」と声がかかった。
「バーを併設したワインショップでワイン販売、飲食店向けの飛び込み営業と畑違いのことを任された。日本酒の勉強こそなかったけれど、この経験が私に日本酒蔵にこれから何が必要かを気づかせてくれた」。
わからないことはとことん学び覚える。日本酒一辺倒ではなく幅広い酒の知識を深め、消費者、飲食店、酒販店に魅力を伝える重要さを学んだ。これが笹祝酒造の新しき波の始まりとなる。

地元に愛され、地元とともに

自分らしい世界を造りたい。アイデアはいくつも湧いてきます(6代目)。

笹祝酒造は、中山道から越後国を結ぶ旧北国街道に面し、交通の要衡として栄えた場所にある。初代が街道で茶屋を営み、そこで酒を出したところ「旨い!」と大評判となったことから造り酒屋になったといわれている。
昔から地元に寄り添った酒造りを心がけ、今も県内消費が全体の9割を占めている。
「ありがたいことに地元の人が笹祝の酒が好きといってくれる。酒蔵は地元あってこそ。うちは杜氏も蔵人も全て地元の人間。地元への愛情は半端なく強い。それは私も同じ。一度外に出たから気づいた地元の良さ、それらを表現できる酒を醸したい。もちろん先代からの銘柄もきちんと受け継ぎます。でもそれだけではダメ。私は造る段階で飲む人を想定します。消費者も巻き込んでしまえばいいと思っています」。
酒造りの基本技術は大切。しかし、酒のイメージを具体化するためには、その技術を柔軟に活用することこそ重要なのだ、と考える。

父の背中を見ていた息子

造りはチーム。誰が声をかけるわけでもなく、必要な時間には蔵人全員集まる。

じつはこの考え、父で5代目の笹口孝明会長が約20年前、そして約10年前と新しいタイプを造り出した時に似ている。地元農家が育てた亀の尾は当時、純米大吟醸しかなく高値で地元の人は手が出なかった。
地元米で造っているのに飲めないのはおかしいと、亀の尾と新潟産雪の精で醸し、気軽に飲める特別本醸造『竹林爽風』を生んだ。
「高価な亀の尾を特別本醸造に」という考えは周りを驚かせた。地元の人が飲まないで何が地酒だという思いが為せた術だろう。
「交通網も発達し、海に近いから魚中心の食事という時代ではない。揚げ物や肉料理などこってりした料理も当たり前になった食卓にすっきりした酒だけじゃダメだと父は思ったのでしょう。味わいのある膨らみのある酒も必要じゃないかと。そのイメージを形にするためにこだわったのが酒米でした」。

話題を呼んだ『笹印』無濾過シリーズ

リノベーションされたエントラスのウエルカムカウンター。「若い人にも気軽に入ってきてもらいたいしね」(6代目)。

「当時の新潟県内の酒蔵で濾過しない酒はなかったようで、色がついた酒だと市場がざわついたそうです。賛否両論ありましたが、深み、飲みごたえがありながら飲みやすいと人気に火がついた。今ではうちの看板商品です」。
父の精神は笹口社長にしっかりと受け継がれている。昨年、地元、松野尾地区で栽培した亀の尾のみで、昔ながらの生酛造りで醸した『壱ノ巻』を発表。結果、大好評となり、県産日本酒の新しい魅力として注目を浴びた。

さまざまな人たちを巻き込む

全て小仕込みの手造りが基本。基本忠実が蔵の味を未来へ繋げる。

「この銘柄には新潟市内の酒屋や飲食店、日本酒サークルなど多くの知り合いで意見やアイデアを出しあいました。造りの手伝いにも来てくれたしね」。
麹造りからラベル張りなど酒造りの楽しさを感じてもらうことで『壱ノ巻』の愛着を持ってもらうこともできた。
「今期もいろいろ考えていますよ。新潟の酒は淡麗辛口の印象がまだ強いけど、もうそれだけでは誰も振り向かない。私は新潟の酒の未来に一波乱起こしたい。そのためにも地元で愛され、地元の人と共に歩んでいかなくては」。
日本酒王国、新潟には常に新しい波が巻き起こっている。

蔵元自慢のお酒を紹介しよう。

取材・文 / 金関亜紀