安らぎと喜び、感動を伝える酒造り 話題作『山間』を生んだ新潟第一酒造の想い
新潟第一酒造

新潟第一酒造NIIGATADAIICHI shuzo

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PICK UP 2021

海外からの反応も良いようなので、地元や国内とともに、積極的に展開していきたいと思っています。

醸造責任者の岩崎豊さん

「今年は、白鳥が早いですね」 前を向いたまま、人の良さそうなタクシードライバーが言った。 思わず、どれどれ、と窓の向こうを見ると、田んぼ、また田んぼ。果てしなく広がるばかり。
「左側のほうがわかりやすいかな」というので、向き直して目をこらすと、2~3グループと思われる塊で、白い羽を休める白鳥の群れが見えた。

銘柄「越の白鳥」は公募で決定

かつての学校のような風情も感じさせる建物

南魚沼市の六日町駅と上越市の犀潟駅を結ぶ「北越急行ほくほく線」の南側、妙高市にある妙高高原駅と海側の上越市の直江津駅とを結ぶ「妙高はねうまライン」までの間は、湖沼や田んぼが広がる。
水も豊富で落穂もたくさん。しかも、美味しい。日本海を渡って訪れる白鳥にとって、招くように広がる平地に加えて、この土地の豊かさは、きっと魅力的なのに違いない。
豪雪地帯でも知られる山並みが終わり水田が始まる山端。低い山を背負い、はるかに広がる田園風景を見渡す高台に新潟第一酒造は蔵を構えている。この酒蔵の代表銘柄は、『越の白鳥』。
「今日は、いませんね。いつもは応接間のこの窓から、白鳥の姿も見えるんですよ」と教えてくれたのは、急用のため出なければならないという4代目で代表取締役社長の武田良則さんに代わって、対応してくれた醸造責任者の岩崎豊さん。
新潟第一酒造が酒蔵としてスタートするに際して、話題作りもあったのだろう、銘柄名を懸賞金付きで応募を募ったという。
そうして選ばれたのが『越の白鳥』。その頃、新潟市の近くにある瓢湖に訪れる白鳥が話題になっていたためとのことだが、今ではここにも飛来し、その数は増えていると聞く。
『越の白鳥』は、訪れる白鳥に心癒されながら醸された酒、とも言えるかもしれない。

坂口安吾ゆかりの蔵も入っていた戦後の酒蔵大合併

新潟第一酒造のある一帯は田んぼが広がる

新潟第一酒造の前身ともいえる亀屋酒造は、「越の曙」という銘柄で1922年、旧浦川原村の現地にて創業。
高度成長期の1963年、旧松之山町の越の露醸造、旧大島村の大島酒造、そして旧松代町の和泉屋酒造と、中小企業近代化促進法により合併し、新潟第一酒造株式会社を設立した。
全国各地でいくつとなく行われた、同法による合併で、新潟県では第一号だったという。 2年後にさらに旧中里村の一川酒造が加わる。
こういった酒蔵の合併では、持ち回りで社長に就くことが多い。初代社長には旧越の露醸造の村山政光氏。母は坂口安吾の姉。つまり、村山氏は坂口安吾の甥ということになる。途絶えていた『越の露』は平成の初めに復活を果たすことになる。
初代会長には現社長の祖父で大島酒造の武田良文氏が就いた。 こうして『越の白鳥』という銘柄も決まり、新潟第一酒造は動き出したのだった。
先代である3代目から武田家の武田誠二さんが社長となり、2008年、父からの代替わりで、現在の4代目蔵元・武田良則さんが代表取締役社長となっている。

「安らぎと喜びの感動を伝える酒造り」を掲げて

おなじみ、半纏の背中にはラベルの文字。力強くて個性的

武田良則さんは、先代の頃の1999年から醸造責任者として、代替わりをしてからは社長兼醸造責任者として、思い描く酒の完成を求めて酒造りに取り組んできた。
それは、「まず、造り手の安定雇用」と社長が語るように、2006年から蔵人制度を廃止し、従業員による酒造りとした。本来は究極の分業体制で行われていた杜氏制度での酒造り。
最近は、なんでもやらなければ、というケースの方が多いかもしれないが、それでも蔵人は造りだけ、出荷、事務、営業と仕事は分かれていることがほとんど。
ところが、ここでは、原料処理からラベル貼り、配送、営業まで、分担しながら、全員一丸となって行っているという。
自らを、飲み手の笑顔のためという「同じ目的を持って取り組む」「プロに負けない集団」と、まるで素人集団かのように表す控えめさ。
しかし、春から秋まで事務など運営側の仕事に専念し、秋に蔵入りして酒造りを始める。
造っている自分たちが、お酒が生まれてくることに、それが美味しいことに、新鮮に感動してしまうのではないかとさえ思える。

上質なものを安定確保し質の向上に集中

裏山の湧き水へと続く、酒蔵の横の道

武田社長の後を継いで、2015年から醸造責任者就任者を任せられているのが、岩崎豊さん。武田社長とも酒造りや酒の開発を長く共に苦労してきただけに、武田社長の気持ちがよくわかる。
「造りたい酒の型ができたようです。そして、醸造責任者から手を離した。私たちはその品質をキープしつつ、さらに酒質を上げる努力を続けていくことですね」
岩崎さんが差しているのは、全体の酒造りの酒質であると同時に、『山間(ヤンマ)』の完成だ。今の同社にとって、この酒なしには語れないほどのインパクトを首都圏などの日本酒ファンに驚きを与えた。
五百万石を使いながら、すっきり綺麗な仕上がりと強い主張をもった味。 清酒学校にも通ったという岩崎さん自身、酒造りが面白くなってきたところのようで、酒造りを語る目がきらきら、ワクワクしている。その気持ちが伝わってくる。
原料の酒米には、五百万石を2004年から、越淡麗を2006年から、委託栽培にしている。
仕込み水には、新潟第一酒造といえば必ず出てくる「裏山の湧き水」。それまで使っていた敷地内の水が枯れたため探していたところ、裏山で湧いていたものを見つけたという伏流水。相当のことがない限り、枯れることはない。
しかも、この蔵の酒造りに合っているのだという。 「人も米も水も、確かなものがなくなる不安がない。そうすれば、安心して酒質向上に専念できます」 岩崎さんは、そう結んだ。
蔵元が勧めるお酒を紹介しよう。

取材・文 / 伝農浩子