自然遺産の町で200年の時を超え受け継がれてきたもの 新潟・糸魚川『謙信』の蔵
池田屋酒造

池田屋酒造IKEDAYA shuzo

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PICK UP 2021

若い造り手の団結、チームワーク作りが軌道に乗ってきました。今年はさらにパワーアップして皆様の期待にお応えできる結果を目指します。

常務取締役の池原達弘さん(右)と製造部責任者の斎藤省吾さん

池田屋酒造が蔵を構える糸魚川市は、新潟県の最西端に位置し、北には日本海、南には3000m級のアルプスの山並みが広がっている。また日本列島の東北と西南の地質的境界線が走り、日本で初めてユネスコが定める世界ジオパークに認定されている。
さらには世界的にも珍しいヒスイの産地であり、海辺では打ち上げられたヒスイ探しも楽しめる。 こうした優れた自然環境と貴重な自然遺産に恵まれた町で、池田屋酒造は1812年の創業以来、200年以上にわたって酒造りを続けてきた。

日本アルプス白馬岳からの清流を使って

上杉謙信が川中島の合戦の折、武田信玄に塩を贈った「塩の道」千国街道沿いに蔵は建つ

酒の命とも言われる仕込み水は、日本アルプス白馬岳を水源にする姫川の伏流水。井戸から汲み上げるその水は、きめ細かく奥行きがあり、後口が爽やか。
清酒『謙信』が目指す、「柔らかく味に広がりがあり、爽やかな含み香がある日本酒」に適している。綺麗さの中に柔らかい味わい、米の旨みと自然な甘味があって、しかも切れ味爽快。
やや淡麗で中口の味わいは、こうした自然背景によって育まれる。

蔵と農家の絆

池田屋酒造の池原達弘常務が率いるのは、若手の少数精鋭軍団。製造部責任者の任にある斎藤省吾さんを筆頭に、30代前半までの育ち盛りの造り手たちだ。彼らはいずれも造りの期間が終われば、実家に戻り農業に勤しむ。
斎藤さんは米の名産地である根知(ねち)の出身。親の代から酒米を栽培してきた。今も「五百万石」と「越淡麗」を育てている。
照る日曇る日、田んぼで生育に向き合ってきた米は、JAを通じて池田屋酒造に納入され、清酒『謙信』の原料米となるのだ。その年の米の出来具合を知り尽くした栽培家の手によって、『謙信』は醸されることになる。

伝統の蔵に息吹く新しい感性

全国新酒鑑評会ではここ10年で7回金賞を受賞

斎藤さんが、2014年に責任者という立場となってから、全国新酒鑑評会でほぼ2回に1回は金賞受賞と快調だ。ちなみに『謙信』はここ10年間で 7回も金賞に輝いた。
200年の伝統ある蔵に爽快な風の流れを感じたのは、彼らの生み出す求心力のせいかもしれない。

地元で愛され全国へ

柔らかい味わいを大事にするため今も和釜と甑を使っている

蔵に向かうタクシーの中で、ドライバーが話してくれた。冬になると自分はスキーの競技会で全国各地に出かけるが、その際に必ず携えるのが『謙信』の一升瓶2本。
夜の親睦会のためだが、『謙信』はいつも人気の的。楽しみにしている仲間のために、重たいのを我慢して持っていくことにしている、と。
地元に根強いファンがいることは、酒蔵にとって大きな強み。実際、池田屋酒造では吟醸酒・純米酒といった特定名称酒と普通酒の製造割合は半々だが、販売先は6割が地元県内。残りは関東主体の県外という。
地元での消費量が減少している蔵元が少なくない中、『謙信』は県民の地元愛をしっかりとつかんでいると言える。
「普通酒メインでやってきたが、これからは純米系主体にシフトすることを考えている。ただし、当社は地元糸魚川の人たちの好みを十分考慮して造ってきた。それを見失わないようにしたい」とは池原常務の弁。
歴史と伝統を踏まえながらも、新しい志向がここにも垣間見えた。

米と水と対話しながら心醸す

池原常務:当蔵は越後の名将・上杉謙信が川中島の合戦の折、敵将・武田信玄に塩を贈ったとされる「塩の道」千国(ちくに)街道沿いに蔵があります。
この信玄公の美談にちなみ、創業以来『謙信』名を拝命しています。200年の時を超え脈々と受け継がれてきたのは、地元顧客の満足を第一とする酒造りの心です。
越後杜氏が培ってきた技を生かし、酒造りの基本である米と水と対話しながら心醸す、まろやかな酒を育てていきます。

小仕込みで目の届く範囲の造り

『謙信』は総米600㎏から2tの小仕込みで、目の届く範囲の造りを実践。今も和釜と甑を使っているのは、柔らかい味わいを大事にするからという。
麹については、夜間は製麹機を一部導入するが、基本は床麹法の手造りを継承。また貯蔵体制を充実させ、特定名称酒はタンク貯蔵、瓶貯蔵共に冷蔵管理を徹底している。

蔵元お勧めのお酒は以下の通りだ。

取材・文 / 八田信江